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大人の再開バレエ日記

昔のこと

子供の頃は、実は教室を1度変えています。

最初の教室は、当時としてはそんなに特殊でもなかったとは思いますが、
今、見聞きするような理論的な教え方ではなく、
見て沢山練習して習得し、
できるだけ舞台を経験させて上達させるような感じでした。
でも「ワガノワ式」って書いてあるレッスンの音楽テープをもらったことがあったから、
一応、そっち方面だったんじゃないかな。

先生は、舞台で見せるものに対して厳しく、
ぼけっとした私は常に怒鳴られっぱなしでしたが、
本当に泣いたり笑ったり、親からよりも多く抱きしめられる感じ。
子供にもはっきりと愛情が伝わるとても情熱的な方でした。

同じくらいの歳の子とは仲良く、お姉さんたちも熱心で優しく勉強もでき、
皆で舞台を創り上げる感じで、温かい教室でした。

とりあえず当時はプレコンなんて無かったので、
上手なお姉さん達のおまけ的に東京新聞や埼玉のコンテストに出ました。

ソロではなく、4人で葦笛のおどりをやって、埼玉では努力賞(入選より下)がもらえました。
予選は時間制限があるけど、入選したらフェッテを3回決めなくてはならず、ほっとした顔してるわね~って先生に言われたんですけどね。

ここは反復練習が多いレッスンでした。

例えば、かなり広い練習場の対角線を
パドブレだけ。
シェネだけ、
ピケターンだけ
という具合。
たしか私も3年生くらいで、ピルエットはポアントでダブルで回ってました。
フェッテも5回くらいは練習してた感じです。
アンシェヌマンは毎回似たようなものだった気がします。
その代わり、なにかしらの舞台が年に2、3回あったと思うので、腕の使い方的なことは、振付で覚える機会が多かった感じ。

あと、遠出する日曜日のクラスはお姉さん達に混ざるので少し複雑で難しかった覚えはありますが。

そのような反復練習ですから、とくに子供ですし、慣れで技として上達はします。
反射的に動けるようにはなったのです。

私としてはそれで楽しかったのですが、
教室を変わるとそれまで頭をあまり使ってこなかったので、
アンシェヌマンを覚えるのが大変ということに…。

一長一短です。

(すごいことに、今でも、油断するとグランジャンプなんかで
条件反射的に「定形」がでてきてしまって、間違えます。)

2つ目の教室は、
母親の希望で、妹ともども都内の某バレエ学校の本部にいきなり行きました。

かなーり無謀です。各地の教室ならともかく。
まったく関連のない教室からですし。
本部は一部の地元の子を除いて、各地の生え抜き達が来ている場所ですからねぇ。

ま、当時はインターネットなんてないし、
母は思い立ったらすぐ行動する人なんで、しょうがない。

入校の都合で半年レッスンが開いてしまって、
初回のレッスンで、怖くて厳しいO先生に、
すぐさま「は?あんたたちには100年早い」って感じでポアント禁止、
しばらくはバレエシューズだけ。

妹とぼーぜんとしましたが、(まぁ当たり前ですけど)
もう一人の、M校長先生はほのぼのと優しかったので
すぐに逃げ出すようなことはなく、
年度が変わって下のクラスから上がってきた子と一緒に
別メニューで助手の先生からポアントの基礎レッスンを受けました。

そこで直されたことは
細かいことはあんまり覚えてないけど、
たしか、
練習用もサテントップのを使う
ポアントの履き方(片側のリボンから巻くやり方)
ソールはおらない(買った状態のまま事前に手で曲げない)
ゴムはつけない(レザートップは踵にリボンを引っ掛けられるところがありました)
指は曲げず甲を伸ばす
アキレス腱を縮めない
あとへその下10cm(言うところの丹田)をしめる
だったと思います。

思い出せるくらいだから、自分にとって新しい知識だったらしいです。
有名処だからネットで悪口もみるけど、まぁ当時としては、子どもに無理なことをさせない、偏ったクセをつけさせない系の今よりな教育でした。
ソールを曲げていないシューズでは最初まったく思うように立てなかった覚えがあります。
でも確かに、シューズが足に合っていればソールを曲げなくても立ち切れるので今もそうしてます。

最後に辞めた理由ですが、
本部にきている子は当然各地の教室でもやっていて
多分最低週4回はやっていたと思われる環境の中、
私はといえば、週2に減ってしまったのに、バレエに対して与えられたレッスンしかできない人で、適切なストレッチの方法さえわからなくなりました。

それを誰にも相談もできず、
進級して妹とクラスが離れて心細かったこともあり。
こころと動きがどんどん萎縮していって、
最後はどう考えても、ものすごくヘッタクソになっていました。

ヘッタクソでデブ(細身のエリートの皆と比較して)で
発表会も練習はさらりとしたものだし(衣装代等の費用はわりと安かったし、親もまったく手伝い無しで楽だったようですが)、友達もいなければ自習できる環境でもなく、物足りなく以前のようにのびのびと楽しめなかったのも理由ですが、

正直言うと、更衣室での盗難事件が度々あって、
どうしても家から遠くて遅れる事が多いため、
疑われたら絶対にイヤだというのが
辞める決め手になった理由です。

なんとまぁ。

あくまで一部の人なので、
皆がそうだと思わないで欲しいのですが、
バレエの基本が身につく教育をうけたからといって、
人間的な基本まで育っているかはまた別の話です。

ちなみに妹は同じ境遇でも出世(?)して、
団の公演に出演とあいなりました。
そもそも、私と段違いの完璧主義で上手だったし。
母は大喜びでした。

でも、その出演の公演ロビーで前の先生とばったり会い、
実は出演していると打ち明けたそうです。
先生はつゆほどにも知らなかったので相当ショックだったと思うのですが、
その後協会の集まりかなにかの機会でO先生に
「うちにいた(妹)がお世話になっているそうで、よろしくお願いします」
って感じの挨拶をしてくださったということです。

そんな大人たちのアレコレもあったのに、
妹もほどなく辞めちゃっいましたけどね。

理由はなんだったのかはよく知りません。

この2つの教室は今も繁栄していますし、
現在はどちらも今要求されるバレエを教えていると思います。